夫婦再生事例 その20
Hさん
発覚してから、夫は別人に変わりました。
自分の殻に閉じこもり、私に対する暴言、無視、自殺をほのめかし、暴れ、憎しみを向け、家には帰らない日々…。
恐怖を与える存在でしかないのに、私は夫に執着していました。
自分には生きる価値もなく、ゴミのように捨てられるのかと、いやそうなってなるものか!とあがいていました。
今思えば、共依存そのもので、お互いに眠る事も、食べる事も、笑う事も忘れてしまった日々でした。
発覚前、12年間の結婚で私は夫婦関係は悪くないと思い込んでいました。
我慢するという事が思いやりなんだ。
ギスギスした空気も、普通もこんなものだろう。
感情に蓋をしっかりと閉め、更に釘でバンバン何重にも塞ぎ、外に漏れないようにしていました。当時の私は、自分の気持が荒んでいることすら気がつきませんでした。
夫も同じだったと思います。私は子供に逃げ、夫は仕事に逃げ、お互いに向き合う事を避け続けていました。
そして、まるで満を持しての不倫。
不倫発覚から別居に至るまで一年程。
その間に何度も、夫から別居や離婚を迫られました。
その度に私は、夫を責めたり、逆になだめすかしたり…。頑なに離婚だけはしたくない私は、別居に抵抗しました。
別居=離婚
当たり前の様に思っていましたから。
「もう無理だ」「気持ちはない」「顔も見たくない」「どうせ金なんだろう?」「1人になりたい」
不倫男が吐くセリフは一通り聞きました。
それでも、夫がいなければ、世界が崩壊し私の明日はやってこないのでは?死ぬよりも辛い未来がある気がして、恐怖のあまり、たとえ苦しみが増すだけでも、名目だけでも夫のいる家庭にこだわり続けてしまいました。
頭の中は、夫、夫、夫、夫。
自分の本当の心について、考えることは皆無でした。
それでも、精神的に限界が近づいていました。
「1人になりたい」と再び夫から言われた日、今回は夫の意志が固い事がすぐにわかりました。
「好きにしたら…?」そんな風に答えたと思います。
…諦めでした。
とにかく、楽になりたかった。
一緒にいたところで、何も変わらないと分かっていました。
死んだような目の夫からは、私が求めている言動は何1つ得られない。だけれど、こうなってしまった事に、子供へは申し訳ない気持ちで一杯でした。
8歳の子供が「パパがいないおウチ」をどう思うのか、将来大きな傷にならないか。
経済的に大丈夫なのか、不安ばかりでした。
が、変に清々しくもありました。
不機嫌な夫の顔を盗み見ることも、
心無い言葉で痛めつけられることも、
帰ってこない夫の行き先を妄想して泣くことも、
返信のないとわかっているメールを送ることも…。
もうそんな必要ないのかと。
きっと離婚するんだろうな…という怖さが、まだまだ心に杭を打ち込まれたような生々しい痛さをもたらしていました。
でも、「離婚になってもしかたない」と諦め「そうなってもいい」と肚をくくり、
はじめて「夫と一緒ではない未来を」自分の意思で見ようとする決意がこの時にできたのかもしれません。
もちろん当時はわかりませんでしたけれど…。
ちょっと前まで考えていた、法的に有利に進めたいなんて思いも、どうでも良くなり、
「子供の学校行事やイベントには参加すること」「私がいない時には子供の面倒を見に戻ること」を口約束しました。
8月の暑い日、少しの荷物を持って夫は出て行きました。
涙が湧きましたが、正直せいせいしました。
子供と2人、楽しく過ごすぞ!何をしようか?そんなワクワクさえ感じ始めました。
心を縛り付けていた鎖が、解けたんです。
私は夫の帰りを待たなくなりました。
顔色を伺わなくても良くなりました。
寂しくなかった?
寂しさはあったかもしれません。
でも、寂しさに寄り添ってくれるのは夫ではないですよ?
友達や、子供がいる方は子供や、兄妹や、両親なのかもしれません。
愛は私達の周りに溢れているんです。
別居中も夫の嘘はありました。
酷いことも言われました。
でも、約束通り子供の面倒を見てくれ、行事やイベントがあれば来てくれました。
物理的に距離ができて、私は夫とやっと境界線を引くことができました。
そうすると見えてくるものも増えてくるんです。
空は綺麗なんだということ。
遠くから聞こえる、リコーダーの音色が美しいこと。
子供の話す言葉の1つ1つに、感動すること。
夫は、私を今まで大事に思ってくれていたこと。
私の心が夫をコントロールしなくなると、夫の中の闇も少しだけ柔らかくなり始めました。
半年以上たってから、頼んでもいないのに子供が好きな漫画を買って来たり、一緒にテレビを見て笑ったりするように変わって来ました。
一年経つ頃、夫はこの先どうするつもりなのか、モヤモヤが湧いてきました。
ウジウジしていると、その頃スタディで学んでいた仲間達やゆうこさんに「聞いてこい!」と喝を入れられました(笑)緊張でグラグラしながら夫にたずねました。
「もう一年経つけれど、どうするの?」
「うん。戻るよ」
躊躇なく答える夫に驚いて、私は「ありがとう」と言いました。
とっても嬉しかったです。
でも、自由を満喫中の私は、夫に対する執着がほとんどなくなっていました。
もう戻ろうが戻らまいが、実はどっちでも良くなっていました。(笑)不思議なものです。執着がなくなると、手に入るんですよね。
夫はちょうど一年で帰ってくる事になりました。
別居中、あの人なりに向き合ったことも、沢山あると思います。でも、あえては聞きません。
私の問題じゃない。
私は私の問題に向き合っただけで充分。
夫の人生を背負う必要はないから。
娘も心配していたようなことはなく、逞しいなあと思い知らされました。
何か、娘なりに思う事はあったかもしれませんが、それも彼女の問題です。
私は背負いません。夫が戻って来てから、2年が過ぎました。
私も伝えたいことを真っ直ぐ伝える事が、少しずつできるようになりました。
夫は変わりました。
長い時間を家にいるようになり、私の方が家を開ける日が多いです。掃除をして待っていてくれたりもします。
心に残った風景の写メをよく送ってきます。
別々に好きな事をしていますが、夫が私を想ってくれている事は、よくわかります。
そして本当は、
不倫される前も後も別居中も
それはずうっと変わらなかったんです。
私が愛を受け取らなかった。
ものをねじ曲げ、複雑にしていたのは私。
世界は、シンプルで美しく、愛に満ちています。
私は今、あの時欲しかった笑顔と安心の中で暮らしています。
事件は日々起こりますが、それでも幸せです。
それは、夫が戻らなくてもそうだったと確信があります。
離婚したって同じです。
夫がいる、いないではなく、
「私の心が笑っている」
ことこそが手に入れたかったこと。
「何のために生きているんだろう…?」と思っていた人生を
「私の喜びのために生きよう!」
と決意したからこそ、私は笑う事が出来たんだと思います。
地獄の底の底を這いずり回り、死んで恨みを晴らしてやろうか、なんて毎日考えていたあの頃。
夫のワガママで別居せざるを得なくなった、苦しみ。
私を苦しめていたのは、
「あいつのせいで」「あんな事がなければ」という私の恨みの気持ち。夫を自分の思い通りにしたい、という執着です。
苦しめているのは自分だった。
別居を怖がらないで下さい。
私も怖かった!
毎日毎日泣いて、何かにがむしゃらに逆らっていました。
夫が私を愛してくれることが唯一の幸せだと思ってました。
でも、違いますよ。
自分の固定概念や執着が、自分自身をがんじがらめにしています。
それを解放する、唯一のチャンスを神様がくれたんですから!
苦しくても、新しい喜びの道が必ず待っています。
みんな、最後は
最高の笑顔が待っていますから。
恐れずに、自分の道を歩く決意をして下さい。
Hさん
初めての対面セッションの際
ここまで、闇深いエネルギーの方って、わたしで大丈夫だろうかと思いました。
内側にすべて溜め込んでいる感じ。
話を伺う中で、それらのエネルギーはご主人のエネルギーだということがわかってきました。
それほど、内側になんらかを抱え込んでいたのでしょう。
Hさんに対しての言葉一つ一つがきつ過ぎて、よくこの中で生活してられるなあというほどだったかと記憶しています。
別居に踏み切る時も恐怖との戦いだったと思います。
なんせ、別居したら離婚になるという思い込みも強かったから。
でもね
踏み切ったあと、どんどん憑き物が落ちたように、軽やかになっていったのです。
あの別居中、それぞれがそれぞれの場所で本来の自分へと内側を整える時間ができたのでしょうね。
今では顔までそっくりなお二人^^
あんな壮絶な時間があったなんて、知らない人には想像できないことでしょう。
別居したら離婚ではなく、離れる時間の中でお互いの存在がどれほど大切なものなのかを、確認する時間と意味づけてみるのもいいかなと思います。
Hさん
末長くお幸せに^^