許すこと

こんにちは

あおきゆうこです。

昨夜のテレビ

アンビリバボーを観た方いらっしゃいますか?

とてもいい話でした。

許すこと

というのがどれほど、人生をハッピーにするか。

「アンビリバボー」

で、検索してきのうの放送分を読んでみてください^ ^

「怒りを持ち続けると、どこへいっても苦しむ

けれど、許せば解放される。」

素晴らしいなあと。

すごいなあと。

わたしが、彼ならこんなふうにできるだろうかと思いながらも

だけど、やはりそうなんだろうなあって、感動しました。

昨日の勉強会でも許すということの大切さを語ったあとでした。

許せないという思いを持つことが悪いことではない。

当然のことでもあるのだと思う。

でもね

許すって、自分に被害を与えた人のためではないのよ。

そんな人のために許そうとか、許さなきゃって思っても無理でしょう。

それどころか、余計な葛藤が起こり、さらに苦しいと思います。

相手のために許すのではなく、すべて自分のため。

自分を幸せにするため、自分の愛する人を幸せにするためのもの。

わたしは、夫がした不倫という行為に対しては、今も許すよという言葉はかけていないし、許そうとか許さないとか、もうそんなことはどうでもよくなってる。

だから、許したのかっていえば、そうともいえないように思います。

意識の深い部分にはまだ許しきれていないのかもしれない。

けれど、不倫した夫や、相手の女に対しては許し終えている。

行為そのものは許せてないかもしれないけれど、最早どうでもいい。

人に対しては、もうとっくの昔に許したよって感じです。

なぜなら

許さない。という感情を持って、許せない人と一緒に暮らすなど、わたしには幸せなことと思えなかったから。

そして、その場に愛する子どもたちを置いておくというのもいやだった。

許す必要性はなかったけれど、共に生きたいという想いを優先するなら、わたしの心の中から怒りや憎しみや恨みを手放さないと無理だった。

どうしたら、許せるのか?

発覚から2年ほどしたとき、徹底的に学んだんです。

学びでした。

すでに、同じ体験をして許し終えていたカウンセラーさんの元で学んだのです。

1人では無理だったでしょう。

あのときの、わたしの中の心の抵抗、葛藤はかなり大きかった。

許した方がいいのは、頭ではわかっても

許した方が楽だ!

いいや、そんなことありえん。

許すなんて悔しすぎる。

結局は、今思うと、自分のために許しがあるのだということが、腑に落ちていなかったということ。

でも、今のわたしが当時のわたしに

今許しておけば、あなたの未来はバラ色よ〜〜〜

って、囁き続けたのだろうと思います^ ^

今思うこと

もし不倫がなければ、今頃わたしたち夫婦はその前の関係性のまま夫婦をしていたのだろうし、狭い世界の中で、子どもたちの巣立ちを、ただ寂しく思うわたしがいたような気がします。

不倫された。

という出来事があっても、未来の自分を幸せにすることは可能

すべては、自分自身の選択次第

イジイジ、グチグチしている自分を人のせいにするのではなく、

かといって、自己否定をするのでもなく、

ただ、今はそうしていたいのよね。私!

今はまだ許したくないのよね。私!

を受け容れればいい。

そして、

必ず、自分で楽になる方へ進む!

と、決めておけばいい。

意識したものしか現実にならないから。

一生許さない!

なんて、思うと、えらいことになりまっせ!

ってこと。

今は、許せない。っていうだけのこと。

スタディアドバンスコースは、ゆるしのコース

それなくして、ギフトをみつけることはない。

ゆるした空間にしか、ギフトは入らない。

そう言われたら、少しはゆるしてみようと思うのでは?^ ^

軽くなりましょうよ!