責めることでの旨味って?
こんにちは
あおきゆうこです。
不倫ということがあって、いつまでも同じことを責めるときって
現実を認めたくない
というのがあるようです。
そんなことをする人だとは思わなかった。
信じきっていた。
という場合
やはり越えなきゃいけないものがあって、
そういうことが、出来る人だった。
というのを認めることなんです。
ただ、その事実があったということ。
そこに、いろんな解釈を自分でくっつけているから、行ったり来たりになるんです。
もちろん、行ったり来たりすることが悪いことではないですよ。
究極にいえば、それすらそれを望んでやっているわけですから、その旨味を味わいつくしたら飽きるかな^ ^
経験した者としましては、そんなところで吸う旨味なんかより、サッサと抜けて味わう旨味の方が、はるかに美味しいとは思いますが、抜けてみないとそれは味わえないところなので、抜けた人の幸せそうなのをみると、葛藤が起こって余計にしんどい。
もうね、葛藤する自分を認めちゃえばいいんです。
そんな人であってほしくなかったわけですから、疲れるまでやればいい。
とことんやったら、飽きるんです^ ^
どんな道を歩いても、間違った方法はない。
その夫婦なりの道を歩いているわけなので、振り返ったらそういう体験が二人に必要だったということなのでしょう。
できれば早めに、美味しさを味わえばいいのになあって思いますが^^;