夫婦再生はありのままがいい

何年前になるかな。

もうかなり以前、何かの本に

夢を叶える人は、諦めないから叶うんだ。

と書いてあって、

は?

と思った記憶があります。

そりゃあそうだけれど。。。。

と考えてみました。

確かに、諦めなかったから叶ったというのは、すべての人に共通だろうなあと。

で、本当はこれってとっても大切な要素なんだと思ったのを覚えています。

きっと 夢を叶えるための第一条件が諦めないこと。

なんだと今なら思えます。

夢というか、希望というか、自分がそうなりたいと思うことって諦めたところで終わり

では、諦めない限り絶対叶うのか?というと、それはどうなのだろう・・・

私は、今 夫とこうありたい。と思った通りの夫婦になることができています。

それは、諦めなかったから。。

間違いない。

でも、苦しかったあの頃。数年後、本当にそうなれるなんて夢にも思っていなかった。

というのも正直なところです。

だいたい、自分が変わらなければ夫は変わらない。ということがそもそも胡散臭いと思ってたから。

私が変わったって、夫は絶対変わるような男ではない。

と妙な自信があったから(^_^;)

でも、いろいろと学ぶうちに、変わる。ということを勘違いしていたことに気付きました。

生活習慣を変える。とか、性格を変える。などということではないということ。

私が私のままであればいいということ。

ってことは、どういうことか?

私が私のままに生きていないという現実があったということなんです。

私が私を生きていないから、夫も夫らしく生きることをよしとできなかったのですね。

父親なんだから。

もう結婚しているのだから。

という常識に縛られてしまっていた私は、そのまま夫にいろいろな物を心の奥底で期待し、求めていました。

それを、見事に裏切る夫に、正直 諦めていたんだな。。。

私は私のままでいい。

そう思えてからの私は、夫も夫のままでいいではないか。

もし、夫が夫のままでいて、私が私のままでいて、うまくいかない夫婦なら

どうしたって幸福感なんて得られるわけがないということ。

どちらかの我慢の上で成り立つ夫婦というのは、私の理想ではありませんでした。

そして今

夫は夫のまま生きていて、私は私のまま生きています。

そしてお互い思いやりをもって、相手が不快にならないように配慮しながら
歩いているという感じかな。

もし、また夫が不倫に走ったら。。。というのが、当初はもっとも恐怖でした。

何度も裏切られた記憶が、夫を自由にすることを心からよしとできなかった。。。

けれど、束縛したうえで不倫に関わらないというのでは、なんら夫の意思がそこにはない。

まるで首にリードをつけて歩く犬みたいなものだとも思ったのです。

もし私が男なら・・・

自分の人生ここまでか。。。と思うような気がしました。

夫が不倫したのは、不倫に至る要素があったというのはもちろんだけれど

私たち夫婦も未完成な夫婦だったんだ。というのも事実

けれど、今はもう違う。

思い切ってリードをはずせばどうだろうか・・・

夫が何かをしでかしたとしたら、きっと私の勘は働く

そうしたら、その時のこと。

夫を信じられなくなっている気持ちをもう一度信じるには夫を自由にして、行動をみるしかない。

それで私を大切にしようとしてくれるなら、それを私が感じられるなら、また夫を信じようという気持ちが自然と育つはず。

そんなふうにしてきた結果

夫には、何一つ制約をつけていません。

けれど、夫はきちんと帰ってきている(笑)

何も話さず、ただただテレビに向かってボーっとしている日も多いですよ。

私が話をしても、ふんふん、と相変わらず上の空の返事のこともしょっちゅう。

それでも、私は夫と一緒にいることに、この上ない安心感を得ています。

夢を叶えるなら、希望を叶えたいのなら

諦めない粘り強さと、プラスアルファが必要

プラスアルファって?

それは夫婦が100あれば、100通りかな!

自分たち夫婦に必要な、これだけははずせないものってのをみつかるといいですね!