自分が変わるってどういうこと?

こんにちは

あおきゆうこです。

今の目の前の現実とは、あなたが今まで創ってきたものたちの結果にすぎなくて

今の目の前の現実がいやなら、今から今までとは違うものたちを作る必要がある。

あの当時、何の本だったかなあ。

そのようなことが書かれていて、横っ面をぶん殴られたような感覚を受けました。

そこで、

ええ?あんなに頑張ってきたことがいけなかったの?

って、夫には否定されるは(不倫されたけど否定はされていないのに、そう思ってた)

本にまで否定された。

と、ダブルでショックでした。

その先に書いてあることを読めずにやめたのですが、そのフレーズだけはずっと刺さり続けてたんですね。

そのおかげで、今のわたし、今のわたしたち夫婦があるのだから、不思議よね(^ ^)

あの頃のわたしは、非常に物質的、現実的に生きていたので、創ってきたものの結果というものが、目に見えるものとしか思えなかった。

でも、そういうことじゃなかったのです。

また、自分自身や、過去に行ってきたことを否定したりする必要もなかった。

そうであるに違いない。

そういうもの。

それが当たり前。

それが普通。

それが常識。

それが正しい。

それが良きこと。

など、言い出したらきりがないくらいの思い込みが多すぎて、小さくて狭い視野を持ち、小さい箱の中で生きていたということ。

だから、自分なんてほーんとに過小評価でしかなかったから、無意識下では、不倫されても仕方ない女

っていうふうに思っていたことに気づいた時の、これまた衝撃!!!

なんてひどいこと。。。

そういう観念たちの集まりが、現実を創るなら、そこを変えるしかないよね。

だったらどうしたらいい?

そこで、それまで小さい箱の中にしか身を置かなかった環境から抜け出したということです。

そうすると、世界は広くて、どんどん自分を生きている人たちとの出会いがあり、

だからといって、その人たちも普通の人だというのがわかり、

だったら、わたしもそうなれるのではないかと思うようになり、

大丈夫だから好きにやっちゃえ!と、乗せられ、

乗せられたから、このまま乗っかってしまおうかと進み出し、

それでもつきまとう恐怖や不安と共に動き出し、

と、完全に人生の主役は自分

というところの位置に立ったとき

どれだけ、脇役に徹してきていたのかと思い知った。

気づけてよかった。

わたしは、夫婦円満という中で生きたい。

そういうストーリーの主役でないといやだ。

だったら、脇役である夫をチェンジするのもありだよな。

でも、もし、夫が自分の人生の脇役である妻をわたしに演じてもらいたいという想いがあるなら、自分でそのように変わるだろう。

さあ、どうなるか!

新しい舞台の始まり!!!

そうして、歩いてきて今です。

不倫される。という一コマを創ったのもわたし自身

自分らしく生きるために。

おかげで、夫も、子どもたち一人一人にも、自分のストーリーは自分が創るのだから、わたしは脇役に過ぎない。ということが心の底からわかったし、

わたしの人生の脇役である夫や家族をどんなふうに登場させてどんなセリフを言わせるか?

それも、わたしが、考えられるなんてこんな素晴らしいことはない。

夫はわたしを愛し、大切にしてくれる役目で、子どもたちは自分の人生を謳歌して、幸せに生きるのをみせてくれる役目

そう考えるだけで、ワクワクよ!

そうして、わたしは家族に応援される中で好きな仕事ができる。

不倫されたってことは、やったね!

生き方変わってギフト来るね!

っていう思い込みに変われば、その通りになるよってことを伝え続ける。

まじめに生きてきた人が、不倫などという自己中なことをされ、その後恐怖や不安という小さい箱を設置し、自らそこに留まり続けるのも、

その箱から抜け出すことを選択することもできる。

どんな事象にもプラマイのバランスはとれているのだから、不倫されるという事象においてだけ例外だということはない。

ドーンとくるマイナスと同じだけプラスは味わえるようになっている。

それが基本

ただ、それを信じるかどうかの違いだけ。

今までとは、時代が変わっているのだから、古い思考や教えと同じ考えでいる限り、不倫からのプラスなど見つかることはない。

こんな素晴らしい時代がきたのだから、それに乗っかればいい。

恐々乗っかってみたから、こうして伝えることができている。

わたしの当時のイメージ図は

三匹の子豚

藁の家を作っていたのに、磐石だと思い込んでいた。

それが崩壊したのだから、次作るのはどんな家?

レンガでしょ!ってこと。

なのに、壊れた藁の家が今も磐石だったと思い込み、また同じく藁で家を建てますか?

家を建てる自分は過去も今も未来も同じ、そこは何一つ変える必要はない。

けれど、藁じゃなくてレンガだよねっていうところの思考と、じゃあレンガでって、どうやって建てるの?

という新しいことをする行動力を持とうってこと。

なので、一人では無理

すでに、藁の家が崩壊したけど、レンガの家に暮らしている人に教えてもらえば早いよってこと。

今のわたしは

レンガ暮らしの人が増えてきたことがうれしくてたまらない!

あ、わたしの仕事は、藁の家にこだわって、また藁の家を建てようとしている人に、あるいは、崩壊してるのにまだそのままの藁の家に暮らして不便だ〜という人に、なぜそうしてるの?

なぜレンガにしないの?

というマインドの部分をお伝えすること。

そして、レンガの家の設計を共にしています。

次の段階に進みたい。

レンガの家の建てるぞ!

という方、お待ちしております。

余談ですが、三匹の子豚の話

レンガの家に住む豚を襲った狼は、焼け死ぬんだよね。

あの話を子どもの頃に読んだ時、思いっきりスッキリしたのを覚えてる(^ ^)

悪党はこうなるのよ!

ざまあみろ!って。

よそのうちのものを取って食べようなんてことをすると、そのうちそんなことになっちゃうよってことでもあるんだな!

レンガの家にすると、そういう悪党も入る隙はなくなるってこと(^ ^)

そして、安心していっろんなこと謳歌できますよ!