旅を終えて

こんにちは

あおきゆうこです。

昨日帰国しました^ ^

☆☆☆

結婚してからのわたしが、ただただ願い続けてきたこと。

子どもたちが幸せになってほしい。

そして、そのためには?

を、ずっと考えてきました。

当然、夫のあんなことがあったときも、それが優先

わたし自身の幸せとは、結局子どもたち3人の笑顔をみること。

それのみといっても過言ではなかった。

で、

不倫問題では、その問いを突きつけられたわけです。

さあ、どうすれば、子どもたちは幸せになれる?

そのために、母であるわたしはどう行動すればいいのか?

もう、それを考えまくりました。

そこで浮かんだ答えは

自分が子どもだったとき、一番幸せに思ったときって、母が笑っていたときだったなと。

としたら、わたしの子どもたちも同じかもしれない。

わたしが、いつも笑ってるということが、子どもたちも安心して自分が幸せになることに許可できる。

そこに行きついたのです。

難問だわ。。

誰かを幸せにしてあげたい。

そのためにこんなこと、あんなことしてあげよう!

っていうことは、浮かんでくるのだけど、自分を幸せにするってなんだ?

してきたつもりだったのに、こんなことになってしまって。

でも、そこを追求するのをやめなかった。

わたしは何をしてるいるときが幸せだろう?

どうしてもらえると、幸せだろう?

誰といるときが、楽しいだろう?

誰といるときに、安心感がわくだろう?

過去がそうだったから、今も、これからも。

人はその罠に落ちることが往々にしてある。

それを学んだとき、ほんとにその通りだと感心しました。

特に夫婦なんて最たるもの。

恋人時代、新婚時代、または、数年前は幸せだった。

だからといって、今幸せなの?

これからも幸せなの?

残念ながら答えは

NO

人は変わるもの。

いや、人の心は変わるもの。

だから、気持ちがうんぬんではなく、

この人の存在を、大切だと思えるのか?

この人を、幸せにしたいと思えるのか?

やはりそこ重要

わたしは、自分が幸せになる条件として、子どもたち3人すべてが、幸せだと思っていること。

というのがベースにある。

であれば、まず、自分がいつも笑っていられる場、安心してそこにいられる場

それをしっかり作ることこそが一番大事だと、行動してきました。

だから、夫に女がいる。

という状態なら夫ごと切り離すしかない。

愛情やら、お金を、わたしや家族と、女に分散するような人と一緒に暮らしても、わたしは笑うことができない。

ようするに、わたしが何よりも大事にしてきた子どもたちを、大切にしてくれない人とは共に生きることはできない。

母を悲しませる父がいる限り、子どもたちは、わたしの前で笑うことはないだろうと思ったのね。

それは、わたしがかつてそうだったから。

父は堅物の真面目な職人だったので、家族ひとすじな人ではあったけど、真面目なだけの人間は、融通がきかなくて、母は大変だったことでしょう。

お金のことで苦労して働く母をみていると、わたしだけ幸せでいることにとても罪悪感があった。

友だちや彼と楽しい時間を過ごしても、家に入るときには冷静な自分だったし。

母の機嫌がいいときは、楽で。

機嫌が悪いときは、触らぬようにしていた。

だから、子どもたちにそんな想いをさせたくなかった。

そのためには、自分の機嫌は自分で取る!

これに尽きることを知ったのです。

それって簡単なようで難しかった。

今のわたし

子どもたちからみると

チョーワガママな母だろうと思います。

そして、その母のためにいろいろ頑張るやさしい父

というのが、両親像ではないかな。

時々、子どもたちからして、あんなことをしたのを知らないわけだから、

父は素晴らしくて、母のワガママ放題を受け入れている人

みたいに思われているかもっていうのは、癪にさわる気もするけど 笑

なんせ、子どもたちの笑顔がわたしの幸せなので、それでもいいのですわ^ ^

夫の不倫は

子どもたちを幸せにしたいけれど、その方法が、わたしの自己犠牲の上に成り立たせようとしていたところ、

違うよ?

まずは自分からだよ!

というのを、頭だけでなく、体感していくことを学ばされた。

という感じ。

そして、一人一人、完全に自分の人生の道を自己責任で歩き出しているというのを、今回の旅で実感できて、

夫のしたこと。

今までは、何が何でも知られないようにとしていたけれど、そこもやっとどうでもいい。

心からそう思えました。

あんなことをする人は最低な人間

そんな価値観があるような子どもたち

でも、そんなことをしたからといって、人の価値が下がることもないし、人間誰しも魔がさすときとか、欲望に負ける弱さもあって、失敗もする。

それでも、それで人を傷つけたとわかったら、誠実に生きることでいくらでも挽回できる。

また、思わぬことで、人から深く傷つけられても、ゆるすことで、それ以上の幸せがやってくる。

そんな学びを得ることが可能になる。

そうそう。

このベースを作ってきていたのだと、改めて思った旅でした。

ゆるしあうことの意味

自分の幸せとは何か?

いつの日か、わたしたち夫婦のこと、すべてを子どもたちに語ってもいい。

そんなことも思いました。

もし、それが必要ならいつかは、ばれる。

あの子達が知る必要がないなら、ばれることはない。

やっと、自然に任せることができそうです。

来年、結婚する長男

家族5人水入らずの時間を過ごせたこと。

ありがたかった。

長男に関しては、もう何の心配もない。

どんな問題が起ころうと、自分で解決していくでしょう。

ほんとの意味で一丁上がり!

幸せとは、ワクワクウキウキしている瞬間だけではなくて、じんわり、あとからくる。

あったかくて、やさしくて。

楽しかったなあ。。

おもしろかったなあ。。

きれいだったなあ。。

美味しかったなあ。。

お気付きですか?

幸せとは、自分が感じるものばかり。

そして、それらを感じられるような行動をすることが必要

ほとんど、多くの人は、自分にそれを与える段階で止まっている。

なので、いろんなことを起こすのです。

これを今読んでいるあなたに起こったのが、夫の不倫

どんな出来事かは違っても、辛い出来事には、そういう意味があるということ。

だから、あなたが、自分を幸せにするぞ!

と、決めることで、不倫問題は解決していきます。

今回の旅で

やり抜いた!

やり抜けた!

達成感も伴いました。

わたしの役割とは?

これも、しっかり認識した次第です。

もし、あなたが母親で、やはりわたしと同じように

子どもの幸せが自分の幸せ

そう思うなら、まずはあなたが自分らしく生きること

それができたときには、あなたのご主人がどうであっても、気にならなくなりますよ^ ^

一緒に歩くことになっているご主人なら、あなたの横で、あなたが幸せでいることに喜びを感じるようになるだろうし、

それに気づかせる役割のために結婚した二人であったなら、お互い新しい人生を自分たちのために歩き出すでしょう。

結果はどうであれ、不倫問題を完全解決とは

あなたが、自分を幸せにするには?

そこにフォーカスすること

そのためには?

っていうところを、これからも、ブログで綴っていきたいと思っています。

家族5人それぞれが、それぞれの役割を持ちながら、1週間旅をしてきて

あっという間だったなあ。

楽しかったなあ。

ありがとう!

そんな言葉が自然に出る家族をつくれたこと。

これで、いいのかな。

そんなふうに進んできたけど、今のところ

これでよかった!

という答えがでました^ ^

子どもたちから送ってもらった写真も含めると1500枚ほどとなりました。

これも整理しようと思ってます!