不調和はさらなる調和へのスタートライン

こんにちは

あおきゆうこです。

必要なことと、そうでもないこと

また、不必要なこと

(必要というのは、自分を生きるためにということにおいて)

大きく分けると、すべては三つの中で動いているように思う。

そして、圧倒的に多いのは、そうでもないこと。

要は、どちらでもいいこと。

なので、その範囲に収まっているのなら、なにもしなくても、何かをしても

どっちでもいい

調和しているから、心配しながらビクビクするのはもったいない。

でも、もし何かそこから出て行動することが必要なら、不調和なことが起こるのです。

また、いったん、不調和なことを起こされ、それに気付きなさいというメッセージがくる。

また、それをしたいと思って進んでも、それをすることが不必要なら、やはり不調和が起こって止められる。

ようするに、自分の思う通りに生きて、不調和が起こったときは、さらなる調和の世界へスタートしよう!というだけのこと。

人は往々にして、他人のこと、他人に選択権があることにまで口出したり手を出したり。

そうしなければ、不調和が起こると思い込んでいるけれど、実はそれも調和への道なんだろうな。

そもそも、他人の選択権を侵さなければ、たいていは、どっちでもいい。

という中にいることが多くなる。

それを平穏なともいいますね。

なので、平穏でありたいなら、他人の選択権に踏み込まない事。

不倫する夫にしても、それをするかしないかは、夫の選択権

そういう不調和が家庭に起こったという時点で、次の調和へと、動き出しているという事。

そして、それはまた夫婦仲良し。という事象につながるのか?

関係性が終わるのか?

どちらであっても、次の調和だということ。

その中で起こる思考によって、わいてくる感情は変わってく。

感情を受け入れながら、吐き出しながら進むことで、どんどん調和は進むのだけど、そこをそう思えるまでに時間というものが用意されているのだと思います。

その人にあった時間が。

だから、人と比べる必要もない。

そうして、グルグルとまわりながら、人生って進むのだろうな。

わたしの今までの人生はそうだった。

調和ばかりでは成長がない。

不調和は調和へのスタートだから、そうなったときに、見直せばいい。

ここを訪れてくださる方は、不調和が起こったわけでしょうから、すでに調和へと進んでいますね^ ^